« 季節外れの真夜中の海 | トップページ | 温かなあなた »

交差点

人と人が行き交う交差点
点と点は重なり合っても
心と心は重なり合う事はない
昨日見た誰かは知らないまま
吹いてくる香りも他人のまま
同じ方向を同じ速度で歩いても
心と心は触れ合う事はない

点と点はあくまでも変わらず
それに居心地の良さを求めた
実際束の間の幸せを感じたが
感じれば感じる程に
何か大切なものが壊れていった

そんな空間に危機感を覚えながらも
今日もスクランブル交差点の中
無表情に流されていく
温かな血を滴らしながら

« 季節外れの真夜中の海 | トップページ | 温かなあなた »

コメント

こんなのレポートに書いたことありました。

すっとばし読みしてください。cafe

(以下)

、『公共哲学13』-都市から考える公共
性-から、

場所は東京の渋谷である。
かつて渋谷ハチ公前は谷底であったという。
そこに省線(今のJR)が引かれ、
帝都鉄道が引かれることで、
ここに「交差する、停泊する」
場としてのターミナルの性格があらわれ
出しはじめたのである。

が当初、ハチ公側の道玄坂下は闇に沈んでたという。
それが駅舎の拡張やら第二次大戦後に闇市がたち、
人びとを吸引したという。

場として、ハチ公の存在が一種の「宇宙樹」となる
ことによって、古くから人間が意識の底に持っている
エリアーデが抽出したような都市のスキームが完成し
たのだという。

さらに、ハチ公前交差点の広場空間を
多元化しているのが、巨大モニター群である、
それぞれのモニタは、一瞬も途切れることなく、

しかし、必ずしもそれぞれの文脈を構成する
ことなく、多様な映像情報を発信し続けている。

それらはこの物理的に実在する空間を別々の
仮構空間へと接続し、実在の<辻>に無限と
もいえる<辻>を付加する。ここを通して
映像の異者たちが現実の異者たちに立ちまじる。

仮構の異者たちがリアルでないとすれば、
現実のただすれちがうだけの異者たちはリアルなの
か、

リアルとバーチャルの差異は、
そこで十分な有効性を持たない。
こうして現代の<辻>=都市は、
無限に多層化されていく。

区切られない都市にはボヘミアンが集まり
異質な人々の集落として都市生活は人に
緊張を強い、他人と「かかわりあい
にならない」規範を発達させる。

そこに生まれる孤独が、宗教の余地を生み、
都会に暮らす人々の心の中に精霊が住む
ようになるのだ。

さあ、海音クン。
「コーヒー教に入りたまえ!」cafecloud

(=^▽^=) ニャハ

投稿: 海ton | 2014.09.25 06:20

>かつて渋谷ハチ公前は谷底であったという。
>ハチ公側の道玄坂下は闇に沈んでたという。
それが駅舎の拡張やら第二次大戦後に闇市がたち、
人びとを吸引したという。

興味深く読ませて頂きました。

>異質な人々の集落として都市生活は人に
緊張を強い、他人と「かかわりあい
にならない」規範を発達させる。

納得です。

あんなに人々がいるのに、孤独を感じてしまう。
そんな群集が凝縮する交差点を歩いているときに、ふと浮かんだのが今回アップした詩です。
誰にも干渉されない! ある意味居心地の良さを感じたりもしますが、でも人間としての幅を広げられない感じが切ない。
温かな血が流れている人間同士でも「ロボット」か何かに見えてしまうそんな場所の様に感じる。
本当は一人一人とじっくり接すれば、温かな何かは感じるのでしょうが、日常の流れの中では皆無な様に感じます。(← 皆無と決めつけている私が悪いのかも><)

ちょっと関係ないですが、ふと窓の外を見てみると秋空が綺麗に輝いている^^
海tonさん、秋って好きなんです。
こんな素晴らしい日に飲むコーヒーは、いつもよりおいしく感じるでしょうね^^(なんてもう飲んでいたりして(。・・。 ))

投稿: 海音 | 2014.09.27 12:56

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/544364/60370139

この記事へのトラックバック一覧です: 交差点:

« 季節外れの真夜中の海 | トップページ | 温かなあなた »